我輩の人生、マジでツライ。1)我輩は別にブログやサイト運営で成功したわけではない。2018年6月現在もなお、未来になかなか希望を見いだせぬ日々である。だけども、我輩はいつか成功し、ふとこの記事を見直して、そんな時期もあったとシミジミ振り返りたい。あの時があるからこそ、今の我輩がいるのだと。
だが、人生がツラくて毎日泣いてる人の未来が、
少しでも明るくなるようにこの記事を書いた。
我輩はクズである。
このことは昔から変わっていない。
いつクズになったかはとんと検討もつかぬが、
はっきり言えることは、昔から永らくクズであった。
仕事は続かないし、
親を泣かせるし、
散々である。
しかしながら、ひとつだけ、意識的か無意識的か、
最近大きく変わったことがある。
ネットの記事で鬱的な文章を書かなくなったことだ。2)昔は、アフィリエイトの広告を貼らない、まったくプライベートな無料ブログを運営していた。その時は、ただひたすら自分の現状を悲観していたのみであって、一縷の希望さえ無かった。
鬱的な記事は誰もトクしない。
そんな記事を書いているとセルフイメージがどんどん下がって、
鬱が悪化するだけでなく、そもそも誰も見やしない。
我輩は自虐を駆使して、
なんとかこの悲惨的人生を喜劇化しようと試みている。
いつかこの悲劇が、お金になり、人生になり、
書籍なんて出版されて、誰かの希望になれるかもしれない。
そう思って、今もなお、誰も見ていない記事を書き続けている。
記事を執筆してゆくと、
だんだん記事を書かずにはいられなくなってくる。
同情の余地がない自業自得から生まれた苦労に対する恨みつらみを、
笑って聞いてくれるものはネットしかないのだから。
自分の悲しい出来事を記事にしていると、
悲しい生き方が、誰にも持っていない、
独自のコンテンツとして成長してくる。
そうすると、たいへん不思議なことであるが、
生きていることにちょっぴり、希望が湧いてくる。
苦境がそのまま、未来の投資として可視化できるのだから、
自ずと生きる気力が湧き上がるのだろう。
だから、人生がツライ君もサイトを始めてみたらよかろう。
最初は人が来なくて、二重でツラいかもしれないが、
愚痴をこぼす手段として淡々と記事を書けばよい。
人と違う生き方や涙が多い人生こそ、
それは集客できるコンテンツとなり得るのだ。
ブログやサイトを始めるなら、
今までの仮ネコみたいな生き方はやめて、
堂々と自分らしく生きてみたらよろしい。
それがネタになり、お金になり、人生に繋がるかもしれん。
我輩はそれを信じて、クズをさらけ続けている。
人生はダメダメで、社会に文句ばかり言って
まるで成長しないクズ人間。
それが我輩である。
人間は、それぐらいワガママな生き方をする方が、
きっと楽しいと思っている。
人と同じ表情をして、
ホントの自分を隠し続けることに、
何の意味があるのだろう?
いろいろな事情で、普通から抜け出せないアナタ。
冷静に考えてもみろ。同じ世界はツマラナイ。
いつもの通学路も、いつもの道を歩いてりゃ感動はない。
だけども、少し迂回して別の道を歩いてみると、
思わぬ発見と出くわして感動できることもあろうことに。
こういう綺麗事のハナシは、
よく義務教育の教科書に載っている。
それなのに、
それを書くように命令した官僚や、
それを読ませる先生や、
それを購入する大人たちは皆、
そんな単純なことヒトツ覚えていない。
我輩は人と違うことで落ち込む生き方をやめ、
「道徳の教科書」の綺麗事を基軸に生きてみたい。
我輩を信じてあげられる存在は、
我輩しかいない。
それはキミだって同じではないか?
我輩は、我輩に対して、
励ましに似た小さな希望を与え続けるために、
これからも毎日記事を書きたい。
References
1. | ↑ | 我輩は別にブログやサイト運営で成功したわけではない。2018年6月現在もなお、未来になかなか希望を見いだせぬ日々である。だけども、我輩はいつか成功し、ふとこの記事を見直して、そんな時期もあったとシミジミ振り返りたい。あの時があるからこそ、今の我輩がいるのだと。 |
2. | ↑ | 昔は、アフィリエイトの広告を貼らない、まったくプライベートな無料ブログを運営していた。その時は、ただひたすら自分の現状を悲観していたのみであって、一縷の希望さえ無かった。 |