我輩、作問者の求むる枢軸を把捉し、解くべき理屈を用紙に整頓す。
難解なる立式を施し、小気味よく計算を処理せんとす。その過程における計算、複雑極めんこと多かるべし。無闇矢鱈になおざりに解くは、屈辱的悲傷を誘発せし計算過失ぞ発生す。それ故に、我輩、その時分に於いては、大変慎重を期して、極めてご丁寧に過失せんことを欲し、めいめいの計算を愛撫するが如く対応す。
分数やルートたる何ぴとも解けらるる基礎的要素たるが多様に組み合わせらると、計算の途中でけだるき嫌気が我が心うちに暗躍す。手首が悲鳴を上げる頃合い、悪魔のささやきが脳内に反芻さるる。
しかしながら、ながらしかしである。ここで一毫にも油断の影をよぎらしてしまうと、計算過失の発生及びそれに付随する自尊心の損傷を背景とした心的外傷後ストレスを激発する可能性を高めてしまう。
従つて、我輩は責務を――即ち、是が非でも非が是でも計算過失を発生せざらしむ的責務を――抛つことはせん。安楽求めていたずらにも御座なり的計算処理に甘んぜず、数字に執拗に愛撫を重ねるのである。
愛撫とは、即ち簡明に見ゆる初歩的計算に対してをも、我が処理に誤謬有りと断定して異常なる猜疑心で心臓を圧迫させる行為を指す。言ふまでも無きが、斯くは莫大なる糖分を消費し、信じ得ぬ程の巨大なる疲労を産し、寿命を縮めんとする大苦行なり。
あだびとはきつと、以上の苦行に意味あらんやとこそ問ふべけれ。確かに凡人の目には気が狂つた心構えに見ゆるかもしれん。しかしながらである。我輩は余りにも厳峻に聳ゆアルプス的矜持の山巓におる。
従つて、園児が出来得る処理一つに整合性の欠如があれば、そいつがいくら取るに足らん小さき欠如に見えようと、御山の頂上から真っ逆さまに転落して谷底で死亡するなる重大なる過失ぞなる。
斯くして我輩、計算を終えて一息をつく間も無く、刹那に解答を確認せし。最期の足し算で重大な誤り有り。我輩、ふて寝す。