好きな食べ物はじゃがりこアリゴである

じゃがりこアリゴ

 

クズ猫

アリゴ教の教祖になりたい

カルビーが誇る最強のじゃがいも菓子じゃがりこ。これをより美味しく食すことができる新たなるアレンジ法が平成末期に産声をあげた。1)我輩は正直申し上げると、みんながこぞって取り上げて、流行しているネタをわざわざ記事にすることはしたくない。そういう記事を書くことは確かにトラフィックを獲得できるが、我が信念に反しているのである。しかしその信念を打破されるほどの衝撃が我が脳天を刺激した結果、我輩はこの記事を書いているのである。

その名も、「じゃがりこアリゴ2)アリゴとは、フランス南部における郷土料理。チーズとポテトを組み合わせた料理で、トルコアイスの如くチーズが良く伸びる。」である。

この悪魔のレシピは、YouTubeやツイッターは無論、各種SNSおよびメディアで取り上げられ大流行している。我輩は1日3回これを食し、白飯がこの世で存在しなくなった場合における主食を、このじゃがりこアリゴにしたいと思っている。3)厳しい寒さと乾燥がみられるロシアにおいて、飢饉が発生したら人はどうするか。そのとき人は、間違いなくジャガイモの力を頼らざるを得ないだろう。ジャガイモは厳しい環境下でも力強く生育し、大量生産も可能だ。言うまでもないがジャガイモを使った調理法はたくさん存在し、食えばすぐに満腹になる。まさに奇跡の食べ物ではなかろうか。

この記事の読者にもし、いまだじゃがりこアリゴを食さぬ者が存在したとすれば、我輩は大変無念でならん。



これほど安価時短で作成でき、ここまでうますぎる食べ物を知らぬ人が不憫でならぬのだ。ああ、宗教者が哀れみで布教活動をするのとまったく同じ状況である。

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1. 我輩は正直申し上げると、みんながこぞって取り上げて、流行しているネタをわざわざ記事にすることはしたくない。そういう記事を書くことは確かにトラフィックを獲得できるが、我が信念に反しているのである。しかしその信念を打破されるほどの衝撃が我が脳天を刺激した結果、我輩はこの記事を書いているのである。
2. アリゴとは、フランス南部における郷土料理。チーズとポテトを組み合わせた料理で、トルコアイスの如くチーズが良く伸びる。
3. 厳しい寒さと乾燥がみられるロシアにおいて、飢饉が発生したら人はどうするか。そのとき人は、間違いなくジャガイモの力を頼らざるを得ないだろう。ジャガイモは厳しい環境下でも力強く生育し、大量生産も可能だ。言うまでもないがジャガイモを使った調理法はたくさん存在し、食えばすぐに満腹になる。まさに奇跡の食べ物ではなかろうか。

人生を生きる意味

田舎と線路

クズ猫

人生イロイロあるけども、結局は…

死にたいと思ったところで呼吸は決して止まることがない。無意識は、生きるために拍動するよう臓器に命令を下しているのだ。我々は、常に生きねばならぬ責務を身体に負いているが、それは何も辛い事ばかりを経験させるためではない。我々は、生きてよかったと確かめることができるその日まで、本能的に生き続ける生き物なのである。‬

我々が食事をし、勉強をし、懸命に働くのは、何も呼吸をするためではない。

我々が生活を営む本来の目的は、考えるだけでワクワクするような人物や出来事、うつくしい風景やかけがえのない愛情に出逢って、しかと生きていることを確かめることにある。

淡い空と道


俗物根性に惑わされない


我々は優越感を抱いたり、劣等に悲しんだりしてエネルギーを多大の消費すること限りがない。だが、死ぬ間際のことを考えなければならん。自分の容姿が優れているだとか、自分の年収が高いからなんというのは、死に際に脳裏に一瞬もよぎらすことはない。

死が眼前にあるとき我々の脳裏によぎるもの、それは、大切な人に出会えたかどうか、楽しかった思い出を手に入れたかどうか、そして生きて良かったと確信できるかどうかなのである。

秋と道


大切な人、あなたにいますか?


実は我輩には、大切な人や楽しい思い出という宝物を、他人より多く持ち合わせていない。我輩の目標は、まず、大切な人と楽しい思い出を手に入れること。子供じみた目標である。しかし、普遍的価値がある奥深い目標である。

謙虚犬とクズ猫

算数および数学あるある 計算ミス編

難解なる数学的課題現出す。

我輩、作問者の求むる枢軸を把捉し、解くべき理屈を用紙に整頓す。

難解なる立式を施し、小気味よく計算を処理せんとす。その過程における計算、複雑極めんこと多かるべし。無闇矢鱈になおざりに解くは、屈辱的悲傷を誘発せし計算過失ぞ発生す。それ故に、我輩、その時分に於いては、大変慎重を期して、極めてご丁寧に過失せんことを欲し、めいめいの計算を愛撫するが如く対応す。

分数やルートたる何ぴとも解けらるる基礎的要素たるが多様に組み合わせらると、計算の途中でけだるき嫌気が我が心うちに暗躍す。手首が悲鳴を上げる頃合い、悪魔のささやきが脳内に反芻さるる。

此処は立式せず、暗算してもええんちゃうか?

しかしながら、ながらしかしである。ここで一毫にも油断の影をよぎらしてしまうと、計算過失の発生及びそれに付随する自尊心の損傷を背景とした心的外傷後ストレスを激発する可能性を高めてしまう。

従つて、我輩は責務を――即ち、是が非でも非が是でも計算過失を発生せざらしむ的責務を――抛つことはせん。安楽求めていたずらにも御座なり的計算処理に甘んぜず、数字に執拗に愛撫を重ねるのである。

愛撫とは、即ち簡明に見ゆる初歩的計算に対してをも、我が処理に誤謬有りと断定して異常なる猜疑心で心臓を圧迫させる行為を指す。言ふまでも無きが、斯くは莫大なる糖分を消費し、信じ得ぬ程の巨大なる疲労を産し、寿命を縮めんとする大苦行なり。

あだびとはきつと、以上の苦行に意味あらんやとこそ問ふべけれ。確かに凡人の目には気が狂つた心構えに見ゆるかもしれん。しかしながらである。我輩は余りにも厳峻に聳ゆアルプス的矜持の山巓におる。

従つて、園児が出来得る処理一つに整合性の欠如があれば、そいつがいくら取るに足らん小さき欠如に見えようと、御山の頂上から真っ逆さまに転落して谷底で死亡するなる重大なる過失ぞなる。

斯くして我輩、計算を終えて一息をつく間も無く、刹那に解答を確認せし。最期の足し算で重大な誤り有り。我輩、ふて寝す。