更新1年間停止することに関する簡潔な報告

ある時期から急激に更新頻度が下がったとはいうものの、
時折更新するゆえに、我輩のホームページを何度も来訪し、
更新を確認する者は意外に多い。

本を読むクズ猫

我がサイトをほんのすこしでも楽しみに思ってくれる少数の民に対し、
我輩は申し訳ない、我輩は不届き者極めりと、
不断に反省しつつも、しかしながら、
更新することが出来ぬある事情があるので致し方なし。

我輩はその事情を理由に、更新滞りを正当化していたが、
いよいよあまりにその事情が及ぶ期間は長期に及び、
このサイトはほぼ更新を停止していると思っている人もいよう。

或いは、もう、ワガクズはサイトの更新に飽きたのだ、と
ため息を吐きながらやれやれとあきれ返る人間も存在しよう。

謙虚犬とクズ猫

決してサイトの更新を停止していないし、更新をあきてもいない。
実はある目標があって、その目標のために動き出したら死ぬほど忙しくなったのだ。

それはこのサイトを巨大たらしめる大事な要素であって、
なんせ事情が事情であって、更新出来ぬ。

それではいったいその事情は、なんなのというお話になるが、
しかしながら、我輩はいまそのことを発表することができない。

いつか開示するから待ってほしい。
このサイトは死ぬまで運営していくつもりだ。

末長い目線で我がサイトを見守ってほしい所存なり。

注意
更新を停止するだけで、サーバー費は払い続けているので閉鎖しないよ!
事故とかで死亡したら、誰もお金払えないので閉鎖になりますが。

好きな食べ物はじゃがりこアリゴである

じゃがりこアリゴ

クズ猫

アリゴ教の教祖になりたい

カルビーが誇る最強のじゃがいも菓子じゃがりこ。これをより美味しく食すことができる新たなるアレンジ法が平成末期に産声をあげた。1)我輩は正直申し上げると、みんながこぞって取り上げて、流行しているネタをわざわざ記事にすることはしたくない。そういう記事を書くことは確かにトラフィックを獲得できるが、我が信念に反しているのである。しかしその信念を打破されるほどの衝撃が我が脳天を刺激した結果、我輩はこの記事を書いているのである。

その名も、「じゃがりこアリゴ2)アリゴとは、フランス南部における郷土料理。チーズとポテトを組み合わせた料理で、トルコアイスの如くチーズが良く伸びる。」である。

この悪魔のレシピは、YouTubeやツイッターは無論、各種SNSおよびメディアで取り上げられ大流行している。我輩は1日3回これを食し、白飯がこの世で存在しなくなった場合における主食を、このじゃがりこアリゴにしたいと思っている。3)厳しい寒さと乾燥がみられるロシアにおいて、飢饉が発生したら人はどうするか。そのとき人は、間違いなくジャガイモの力を頼らざるを得ないだろう。ジャガイモは厳しい環境下でも力強く生育し、大量生産も可能だ。言うまでもないがジャガイモを使った調理法はたくさん存在し、食えばすぐに満腹になる。まさに奇跡の食べ物ではなかろうか。

この記事の読者にもし、いまだじゃがりこアリゴを食さぬ者が存在したとすれば、我輩は大変無念でならん。


じゃがりこアリゴのすごいとこ


これほど安価時短で作成でき、ここまでうますぎる食べ物を知らぬ人が不憫でならぬのだ。ああ、宗教者が哀れみで布教活動をするのとまったく同じ状況である。

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References   [ + ]

1. 我輩は正直申し上げると、みんながこぞって取り上げて、流行しているネタをわざわざ記事にすることはしたくない。そういう記事を書くことは確かにトラフィックを獲得できるが、我が信念に反しているのである。しかしその信念を打破されるほどの衝撃が我が脳天を刺激した結果、我輩はこの記事を書いているのである。
2. アリゴとは、フランス南部における郷土料理。チーズとポテトを組み合わせた料理で、トルコアイスの如くチーズが良く伸びる。
3. 厳しい寒さと乾燥がみられるロシアにおいて、飢饉が発生したら人はどうするか。そのとき人は、間違いなくジャガイモの力を頼らざるを得ないだろう。ジャガイモは厳しい環境下でも力強く生育し、大量生産も可能だ。言うまでもないがジャガイモを使った調理法はたくさん存在し、食えばすぐに満腹になる。まさに奇跡の食べ物ではなかろうか。

人生を生きる意味

田舎と線路

クズ猫

人生イロイロあるけども、結局は…

死にたいと思ったところで呼吸は決して止まることがない。無意識は、生きるために拍動するよう臓器に命令を下しているのだ。我々は、常に生きねばならぬ責務を身体に負いているが、それは何も辛い事ばかりを経験させるためではない。我々は、生きてよかったと確かめることができるその日まで、本能的に生き続ける生き物なのである。‬

我々が食事をし、勉強をし、懸命に働くのは、何も呼吸をするためではない。

我々が生活を営む本来の目的は、考えるだけでワクワクするような人物や出来事、うつくしい風景やかけがえのない愛情に出逢って、しかと生きていることを確かめることにある。

淡い空と道


俗物根性に惑わされない


我々は優越感を抱いたり、劣等に悲しんだりしてエネルギーを多大の消費すること限りがない。だが、死ぬ間際のことを考えなければならん。自分の容姿が優れているだとか、自分の年収が高いからなんというのは、死に際に脳裏に一瞬もよぎらすことはない。

死が眼前にあるとき我々の脳裏によぎるもの、それは、大切な人に出会えたかどうか、楽しかった思い出を手に入れたかどうか、そして生きて良かったと確信できるかどうかなのである。

秋と道


大切な人、あなたにいますか?


実は我輩には、大切な人や楽しい思い出という宝物を、他人より多く持ち合わせていない。我輩の目標は、まず、大切な人と楽しい思い出を手に入れること。子供じみた目標である。しかし、普遍的価値がある奥深い目標である。

謙虚犬とクズ猫